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は じ め に

特別に作られたものではない市販の時計がNASAの宇宙環境を想定した苛酷な試験を合格していく過程は、誰もがその宇宙の価値を身に付けられることを意味します。しかし、なおこの時計は、その価値を自らのものとする選ばれた者だけに与えられた高価なマシーンなのです。この価値を知るあなただけに、OMEGAを送ります。  アエロロジック横浜より

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OMEGA 創 業

オメガの第一歩は1848年。弱冠23歳の若き時計師ルイ・ブランが、スイスのラショード・フォンに小さな時計工房を開業したことに始まります。

1894年に発表された新型時計は、その卓越した完成度によって従来の常識を変えてしまうほど画期的なものでした。これこそ最高・究極という絶対の自信からギリシヤ語アルファベットの最終文字「Ω」が時計に冠され、後の1903年には社名に正式採用されたのが始まりです。 

以来、150年におよぶ年月は、オメガ発展の歴史というばかりではなくそのまま時計発展の足跡といっても過言ではないでしょう。その歴史の紡ぎながら、つねに未来を見つめ続ける姿勢。オメガは、格調ある名門ブランドとして世界中の人々に親しまれています。創業以来、オメガはその名に恥じることのない信頼性の高い時計を作り続けています。

 

オメガ、150年の系譜。創業時から心掛けたもの。究極の時計作り

かけがえのない一瞬が幾重にも重なり、「時」は歴史という壮大なドラマを紡ぎ出します。その一瞬一瞬を克明に、より精確に刻み、人々の心に記して行きたい。19世紀半ば、心踊るこの所業に心奪われた一人の若者がいました。オメガの創業者ルイ・ブラン。傑出した才能とひたむきな情熱の持ち主であった彼は卓越した精度の時計を続々と生み出し、その素晴らしさは瞬く間にヨーロッパ中に広まることとなりました。彼の死後もその意志は生き続け、遂に、究極と高く評価された精密時計「オメガ」へと昇華したのです。

精度を語るに欠かせない「オメガ」の名。その自信。

20世紀に入ると、ヨーロッパ各地の天文台で盛んに精度競争が行われるようになりました。オメガにとってコンテストは、持てる能力のすべてを存分に発揮できる絶好の場でした。スイス、イギリスなどの天文台で次々と記録をさらに更新するという活躍をみせます。こうしてオメガは、高精度時計の代名詞として世界にその名を馳せるようになりました。

美しさにおいても「究極」を意味する。オメガ、それは洗練。

オメガにとって究極の時計とは、単に精度の確かさだけを誇るものではありません。時に強く、時に優しく、つねに新しさを失わない芸術的デザインのクオリティも非常に重要と考えています。オメガの工匠たちは、すべての時計をこの上ない美しさに仕上げるために独創的かつ大胆な手法で時計デザインにあたっています。究極を求めるあまりその美しさは時計の枠を超え、芸術品の域にまで高められることもしばしばです。1957年から3度のニューヨーク国際ダイヤモンド・アカデミー賞に輝き、1964年には時計ブランドとしては世界で初めてこの協会の正式会員に認定。1970年からはその年の最も優秀なデザインの時計に贈られるバーデン・バーデン市ゴールデン・ローズ賞を6度も受賞するなど、正にデザインにおいてもオメガは世界的に高く評価されていることを証明したのです。

 

美しく、かつ高精度を誇り、揺るぎない堅牢性を持つ。究極オメガ

世界が加速度的な速さで発展を遂げる中、オメガは1世紀半もの永きに亙り、さまざまな分野からの期待にそれを上回る技術で応えてきました。オリンピック公式時計の担当、数え切れない程の宇宙飛行、深海の制覇など、オメガは歴史に磨き抜かれた技術で新しい挑戦を重ねてきたのです。精度、堅牢性、美しさ…・・。究極の名のもと、完成度の高い時計を追求し続ける姿勢は、これからもね変ることはありません。

 

オメガ、その信頼性の証明。

宇宙時計としての華やかな歴史。それはヒューストンの時計店から始まりました。宇宙飛行士の時計探しに奔走していたNASAは1962年、町の時計店で10数個の時計を購入し、宇宙環境を想定した苛酷な試験を課しました。続々と脱落する中、すべてをクリアしたのはオメガスピードマスターだけでした。こうして1965年、市販モデルそのままの姿でオメガはNASA公式クロノグラフという栄誉に輝いたのです。 その栄光はあのロレックスですら手にすることができなかった、本物の時計OMEGAを証明しています。

 

オメガ・スピードマスター、アポロ11号で月面に到着。

1969年、オメガは20世紀最大の偉業である人類初の月面着陸に同行しました。時計史上初の快挙を成し遂げたのです。しかし、オメガの真価がいかんなく発揮されたのは翌1970年のことでした。アポロ13号に計器不能の事態が発生。宇宙飛行士たちは腕のオメガだけを頼りに見事危機を乗り切り、地球への帰還に成功したのです。この貢献により宇宙飛行士から感謝の印としてスヌーピー賞を授与されました。

 

NASAから公式クロノグラフとして絶大な信頼を勝ち得ている時計。

元宇宙飛行士トーマスP.スタッフォードは言っています。「すべての宇宙飛行士にとって、オメガは精密機械以上の価値を持っています」。と宇宙時計の任務を担当して約30年。オメガを超える時計も、オメガ程劇的な時計も、未だ存在していません。

 

もう一つの宇宙、深海をも制覇した比類ない精度、信頼性。

オメガは深淵なる水の宇宙にシーマスターで挑んだのは1934年。その後、1970年の深海探査ヤヌス計画では耐水圧記録を樹立。1988年にはフランスの海底探査計画FAREミッションに参加しました。これは水深4,400m下で地震活動の調査をするために行われたミッション。深海でも比類ない精度を証明し、その信頼性は揺るぎ無いものとなったのです。

その信頼は、海を愛するダイバーたちに愛用されつづけ、あのジャック・マイヨールが素潜りの世界記録101mに到達した時にも巻いていたのもオメガのシーマスターであったのです。

 

1932年のロスアンゼルス・オリンピック大会にて公式計時を担当。

オリンピックという最高の計時技術が要求される舞台で、オメガは過去22回もの大役を努めてきました。1952年には電子タイム・キーピング時代の幕開けに貢献。それまでの多大な功績によって、オリンピック・メリット・クロス賞を受賞しました。オメガが公式計時を担当して以来、オリンピック計時システムは飛躍的な進歩を遂げました。それは現在のスポーツ競技全般の隆盛を支える礎とも言える功績です。その使命を一つ一つ果し、オメガは今日も新たな分野で未来の時を刻んでいます。

 

************************************************ (文章はOMEGAJAPANより引用)



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